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2016年6月20日 (月)

【伝わる朗読とは】22:朗読するために作品に手を加えること

朗読会で1つの作品を朗読する時、どれくらいの時間の長さが適当なのでしょう。
私は、1つの作品で20~30分くらいが限度なのかなと私は思います。それは、聞き手の集中力を考えると、30分を超える朗読は、さすがに聴けなくなってくるだろうと思うのです。

朗読会などで、長い文学作品を朗読するとき、長いがために文章を短くして朗読するようなケースがあります。これは、原則としてやらない方がよいと私は考えています。
作品の中のある章や段落といった部分をカットしてしまう形なら、まだよいと思います。しかし、文章を要約してしまったり、違う言い回しに変えてしまったりするのは、よくないと思っています。それは、原作者の文章に手を加えることになり、書き換えた時点で、その作品が文章を書き換えた人のものになってしまうと思うのです。

文学作品は、話の内容、筋道以外に、文章の美しさ、流れ、リズム、雰囲気といったものがあります。そういう表現の部分が優れているから、人々の心に伝わる文章なのだと思います。
朗読する場合にも、その作品の持つ独特の表現(リズムや雰囲気)を声で表現することになると思うのです。そこが朗読の肝となるところでしょう。だから、内容(話の筋)を伝えるために、文章を短くし、さらに文章に手を加えてしまうのは、極力避けるべきではないかと思うのです。朗読する時に、作者が推敲を重ねて紡ぎだされた文章を変えてしまってよいものなのかと思います。

様々な作家さんの作品を声に出して読んでみると、「この人の文章は読みやすいな」とか、「情景の表現が特別だな」とか感じることがあります。それが、その作家さんの文章の言い回しやリズム、美しさにあたるのではないかと思います。そして、その文体の好き嫌いが、作品の好き嫌いにつながることもあります。そういう文章の独特の味というものを伝えるのが朗読の仕事なのではないでしょうか?

詩を朗読するような場合、難解な比喩表現だからといって、分かりやすいように別の言葉を読み代えて読んだりすることはないと思います。ましてや詩の数行を抜かして読むことはないはずです。詩自体は、言葉を削いでいって、残ったものだと思うので、それを第三者が手を加えるなんてできないことです。
宮沢賢治の「木はごとんごとんと鳴りました」という表現は、「ごとんごとん」に味があるのであって、それ以外の表現はないのです。「ごとんごとん」がイメージを膨らませてくれるのです。
やっぱり、原文そのままで読んで味わうのが一番いいのだと思います。そして、その文章を朗読でうまく伝えられるとよいのです。

もし、要約をしたものを朗読するのなら、これは、原作に手を加えていますということを明らかにしておくべきなのではないかと思います。翻訳本で翻訳者の名前が書かれ、映画や芝居で、脚本家や監督の名前がでるように。

でも、やっぱり、原作は原作のままで朗読するのが一番だと思います。
時間が長くて朗読会では読めないのなら、そういう作品は選ばない。
敢えて短くするなら、部分をカットして、話がまとまらなくてもよしとする。
内容を伝えたいために文章そのものに手を入れるようなことはしない。
要約して、文章表現に手を入れてしまっては、原作者が作品に込めた思いがなくなってしまうと思うのです。朗読は、原文そのままを読むのでよいと思うのです。その文章をそのまま伝えるのが朗読者の役割。
もし中途半端で話の筋が伝わらないものでも、朗読を聴いた方が、全部を聴きたくなって、
原作を手に入れて、目で読むということになることもありましょう。

#この話は、賛否両論あるとは思いますが・・・

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