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2016年3月10日 (木)

【伝わる朗読とは】14:言葉では、すべてを語りきれない

吉野弘の詩 朗読コンクールで優勝して、吉野さんの詩について、さらに深めることが多くなりました。
図書館から全集を借りてきて、その中のあとがきや覚書の記載に、気付くことがあったので、これから数回、このことを書いていきたいと思います。

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吉野弘全詩集を図書館から借りてきました。すべての詩は読み切れてないですが、「ばしばし」と伝わってくる言葉の数々があります。
詩以外に、収録された詩集のあとがきも載っていました。この中に気付かされることが書いてありました。

ここにも、言葉で何かを確かめないと安心できない人がいる。・・・
結局、男が何をどう言っても女を満足させないに違いない。もっともっとと要求するに違いない。言葉には人を満足させない性質がある。言葉は本質的に不十分で不足なものだ。

世の中には、言葉が足らないその分だけ、行為の活力に溢れている人もいる筈なのに、言葉にうるさい人間ほど、そういうことを知らないのではないか。
(吉野弘「北入曽」あとがきに代えて より)

「言葉では、すべてを語りきれない。」ということなのだと思います。いくら言葉を重ねても十分ではない。つまり、言いたいことを言葉で正確に伝えられるものではないということだと思いました。物語であれば、作者は、言葉をたくさん使って、その状況、背景や心情を伝えていく。でも、物語の受け手(読者)に100%伝えることは難しい。

さらに、詩は、ことばを削いでいって作られている。ことば自体が足りないのですから。
でも、読んで伝わるのはなぜか?それは、削いでいったから伝わるものがあるのかもしれません。

「かなしい」「うれしい」と言葉で表現しても、その本当の感覚、心情といったものは、言葉では表現しきれないのだと思います。もしくは、そんな直接的な言葉は使わずに「うれしい」「かなしい」を伝えることになるのだと思います。
人は悲しいときに「かなしい」とは言わないものだから・・・

では、言葉を声で表現することで、それを伝える補助をすることはできるのか?それが、朗読の役割なのかもしれないです。
この場合、語り手(朗読者)の思いというものは、除かれるのだと思っています。あくまで、作者の思いを受け手(ここでは、聞き手)に伝わりやすくするのが、語り手の務めになると思います。脚色しないで、そのままに。

「言葉には人を満足させない性質がある。言葉は本質的に不十分で不足なものだ。」

それを朗読によって補完することはできるかも・・・なんて思うのでした。

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コメント

 二宮さんこんばんは。
今回の内容を読んで、
「朗読者」と、「演奏家」の共通点について考えました。
私は、ピアノを少し弾くことがありますが
作曲者の楽譜には、ピアニッシモ(きわめて弱く)とかフォルテ(強く)などの
音楽用語が記載されていて、その個所は、作曲者の意図を解釈して弾こうとします。

朗読は、セリフのみの演劇と違って「セリフ」とそれ以外の文章があり、その部分も併せて作者の意図することを、解釈することが大切なんだろうと考えています。

実際、現在の私はどうかというと、文章や詩を読むとき
「これでよいのかな?」と考え込んだり、結局自分の今までの経験とか
多少の思い込みもあったりで、朗読しているような気がします。

話はズレますが、最近
会話として「言葉を伝える」ことの難しさを痛感しました。
どういうことかというと
私の話した内容を、相手は全く違う方向にとらえていたので、
ついつい感情的になって自分の考えを主張しすぎてしまいました。
そのことが原因でどうなったかというと
相手との距離が離れてしまったのです。
あとで考えると、もっと冷静に相手のことを思って伝えたなら
理解しあえただろうに・・・と反省しました。
そして、「伝える」ということについて考えさせられたのでした。

なんだかボヤキめいた文章になってしまいましたがお付き合いいただき
ありがとうございました。

二宮さんの朗読をユーチューブでお聞きすると
なるほど、間の取り方が上手だなと思います。
二宮さんは「間」の取り方をどのように捉えていますか?
簡単に聞くことではないと思いますが
宜しくお願い致します。

益々のご活躍期待しております。


なるさん
コメントありがとうございます。

こうやって、コメントいただくと自身の気づきとなります。
ありがとうございます。

演奏家との対比の観点は、気付きませんでした。
確かに楽譜には、作曲者の演奏方法指示が書かれていますね。
文学作品は、朗読されることを意図としていないので、そういう読み方符号がないのでしょう。朗読というものが広まると、将来的には、朗読用の記号が付いたりするかもしれないですね。

「間」は大事だと思っています。
私は、朗読する原稿にいろいろと書き込みをします。
文章を切るところに、記号を入れて、間を入れることになります。
切り方は、まずは原則として、句読点のところになります。
場合によっては、句読点でも間をあけないこともあります。
句読点がないところでどう切るかは、意味が通るようなところで切ります。
どれくらいの時間の間を取るか・・これは、原稿を持たない聞き手がイメージする時間を作るためでもあります。そのイメージする時間を自分の感覚で測っている感じです。

その他、私の朗読の考え方については、詳しくは今後のブログの本編の方で書かせてもらいたいと思います。

とにかく、朗読は難しいなーと思うところは一緒ですね。
自分の持っているもの以上のことは表現できないので、結局は、いい意味でも悪い意味でも、自分の思いこみで朗読することになるのかもしれません。
ただ、その思い込みも、「相手に伝わるように」ということをベースに置いた思いこみになると思います。それが、例え相手にうまく伝わらなくても、伝える側が伝わるように考えていることは大事なのだと思います。
コメントいただいた最近の出来事である「うまく伝わらず、関係がうまくいかなくなった」ことも、伝えようと思って表出してきた出来事なので、そのことを振り返って気づくことで、次は変わっていくものなのだと思います。それが自身の経験となっていくのでしょう。
最近は、相手にどう伝わるだろうかと考えて話をする人が少なくなってきたような気がします。言葉の重みを考えない人が多くなっている。

次のブログ 【伝わる朗読とは】15:叙情が多すぎる。叙事を目指せ で、吉野弘さんのあとがきから思ったことを書いてます。
朗読することにも関係することだと思っています。
感想いただけると幸いです。

二宮さん

「間」について
いろいろと教えていただきありがとうございました。
私も一歩一歩、学んでいこうと思います。

今年も多くの人に、二宮さんの朗読が伝われば良いですね。

今後もブログの記事を楽しみにしています。

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